轟音、私はカルチャーを見た

eastern youthのライブを見た。

感想を語れる相手も友達もいないわけなので、今日はその感想を書いてみようと思う。

 

まず今回のライブはeastern youthを初めて生で見たライブで、一言でいうならば脳天直撃である。

そもそもeastern youthを知ったのは割と前で、私が愛してやまないNUMBER GIRL向井秀徳さんが影響を受けたと語っていたのが始まりだ。

なんと言っても力強い腹から出る声と、テクニカルでありながら基盤を支えるベース、安定感と魂が震えるような心を打つドラム。これが自分のイメージだった。

ライブ映像も何度も見ていつか生で見たいという願望がようやく果たされたのだ。

 

会場に着いたのはギリギリで、満員御礼だったこともあり既に会場はいっぱいいっぱい。

正直もっと前に行きたかったが、通る隙などなくて仕方なく後方で見ていた。

会場内BGMがすこし大きくなり始めた事に気付いた時には照明が暗くなっていた。

来た。本物だ。吉野さんだ。村岡さんだ。田森さんだ。

ライブ映像で見た通りの彼らの姿に既にグッとくるものがあった。

まるで夢みたいで、4、5曲目くらいまで視界がぼやけていた。

吉野さんがぼやけていた。

こりゃならん!と思い、くわっと意識を引き戻すと、妄想なんか比にならない迫力に圧倒されていた。

いや、正直初っ端から好きな曲をやられたわけで、そこから既に圧倒されていた。

自分はギターをやっていることもあり、ライブ映像を見ていた頃から吉野さんのギターは気になっていた。

吉野さんが使っていらっしゃるギターはプロで使うには珍しいもので、そのギターの持つ個性と吉野さんの鳴らす音が絶妙なハーモニーを生み出している。たまらん。

ギャリンギャリンの歪みの中にどこか希望であったり、孤独だったり、光や闇が乗っていた。

それが吉野さんの放つ言葉に乗るわけだ。

旨味の相乗効果とはこのことである。

そして彼の言葉には、とてもとてもおこがましいったらありゃしないが親近感を覚える。

「街」という単語がよく出てくるが、私も好きな言葉だ。実際よく使う。

これは吉野さん、そしてeastern youthを知る前から好きで使っていたからこそ尚更。

だからこそグサグサと次々に刺さってしまうのだ。

今回のライブはどの曲も超ド級に良かったのだが、その中でも「夜明けの歌」は音源でもトップに入るくらい好きだったので印象に残っている。

「涙よ止まれよ今直ぐ  もう朝だから」という歌詞があるのだが、ここでギターがなかなか面白い音を出す。

チョーキング(弦を上に押し上げ、半音あるいは全音を出す奏法)をしているのだが、目立った音だ。私はこういう音が大の大の大好きである。

このなんとも言えない不安感が歌詞の「涙よ止まれよ」にすごくマッチしていると思う。

人それぞれ泣いてしまう時の感情はバラバラだと思うが自分にとって、もうすぐ朝になる時の涙はまさしくギターの音のような合っているんだか、合っていないんだか、ただその不安感だけが心の中で強く目立って鳴ってるんですわ。

あんまり上手く言葉に出来ていないかもしれないがとにかく好きなんです。

ライブで聞けて本当に嬉しかったし、グッと、グサグサと、バチコンと、ウリャーとくるものがあった。

のめり込んで聞いているとあっという間にライブが終わってしまい、今まで見たライブの中でも終わるの早くない?!となるものだった。

アンコールが終わってもアンコールの拍手を続けた観客の気持ちが痛いくらいによくわかった。

足りない!足りないよ!!と言わんばかり。

もちろん、その拍手の中片付けが強行されてしまい仕方なく帰るのだが、キンキンした耳が心地よくて、忘れまいと必死に刻んだ記憶すら曖昧に感じてしまうくらい呆気に取られていた。

寒空の下、渋谷Spotify O-EAST周辺の怪しいラブホ街にポツンと放り出されてしまった私は、新宿まで歩くことにしたのだがこれがまたあんまり記憶がない。

ずーっとライブのこと考えてて、なんとしても薄れさせたくなくて、それでも少しあやふやになっていくのが悔しかった。

でもこれでまた会いに行く理由が出来たわけだ。

彼等はこの先絶対に折れたりしないことを今日はしかと受け取ったので、死なないようにまたeastern youthを見るんだ。

今はただただ愛に溢れている。

eastern youthありがとう。

おて手

完全悪なエゴイズム。

自己完結な愛情表現。

時計の秒針叩く打音と、夜を感じる微かな匂い。

変わりたい。変わりたい。変わりたい。

変われない。

変わらなきゃ変われない。変わらなきゃ変われないと念じていた。

もはや自分ではない何かを借りて、自分を操作していた。

気付くとどうやら私は引っ越すらしい。

そんな夜にそろそろ飽きてきた頃、心地いい音が心を誘う。

私の見てる世界を私が理解してあげなくちゃ、いったい誰が味方するんだろう。

絶望の果てに見た極楽浄土と、夢で見た桃源郷はまるで違う。

逆方向の価値観に悲観してる暇なんてない。

人に悪意を向けている暇なんてない。

人の血を人の血で争いながら書く歴史、蔓延る人種差別、炎上にたかっては知りもしない人を叩く始末。

他に目を向けていたら、私は私をやっていられない。

なんなら自分すら保てていないのだから、とうにそんな余裕なんかないはずだった。

本をめくる度に増えるしわ。

私は今日も暖かくなり始めた布団から、宇宙と交信していた。そっちはどう?

なんだか悲しくなって泣いてしまった日は絶望とは疎遠でいたかった。

世界はおもちゃだ。

かわいい、つたない、はかない、ちいさい音の鳴るおもちゃ。

幾年も幾年も幾年も幾年も幾年も幾年も幾年も幾年も幾年も自分みたいな人が現れては、死んで生まれて死んで生まれて死んで生まれて死んで生まれて死んで生まれて繰り返しているんだな。

あなたの全てを知ったら脳みそが爆発しちゃうんだろうか。

全てのつらさを代理で味わったなら全身から血が滲み出るんだろうか。ゾロだな。何もなかったんだな。

最近は上手くいかない。

歯に詰まった繊維質の食べ物みたいな心模様です。

はーい、カット!大丈夫、フィクションだよ!気付いたらノンフィクションだった。

 

あの子に名前を呼ばれた日、死んだ。

脳をかき乱すわたがしと、地球で重力が人類で初めて消えた日だ。

私は銀河系を超えて新しい地球に出会った。

パラレルワールドでした。

 

心の内なのか、心の遥か外なのかもわからない。

ふと周りを見渡すと退廃的な夜に浸かっていた。

今日も私は実験台。

最後までチョコたっぷりと言わんばかりの悪意。

今の私にとって1番現実的な救済は眠剤。持ってない。

今でも自分が異常だったのかなんて振り返ることばかりで、その度にいやそんなことは無いと思いたいと自信なさげな返答がくる。

誰かの責任を押し付けられたのなら死んでしまっていたが、幸い自己責任で済んでいる。

今日も長たらしく書いてはあなたに迷惑をかけているかもしれない。

私はどうやら長生き(出典 : 自分の手相)なので、この先も迷惑をお掛けします。

少女の妄想、最終回を越えてゆけ

これは私ではない、あの少女の話である。

あれはそう、高校2年生9月、夏のことだった。

 

 

遅刻ギリギリで、正門を門番の如く鋭い目を光らせている体育の教師のせかす声と共に横切る。

私は物心ついた時から妄想が大好きだった。

大好きというか無意識に考えてしまうのである。

例えば、それこそ遅刻ギリギリの時に今日こそ角で運命の彼と出会うんじゃないか!とか。

深くふかーく深層まで考えてしまうこともあれば、すぐに止める時もある。

 

そんなこんなで教室に駆け込む。

危なかった。残り2分だった。

寝不足なだけあって、1、2、3、4限とあまり記憶がない。

おそらく起きていたとは思うが。

私は不真面目では無いしどちらかと言うと真面目だと思う。

きちんと起きていたと信じてる!

ノートを見たら読解不可能な字で、よれよれになった線が1ページの世界を突き抜けていた。

それすら記憶がない私が情けない。

 

昼食を食べ終え、5限を受けていた。

今日の5限は現代文。

うちのクラスを担当している現代文の先生は、50代か60代くらいの恰幅のいいおじさん先生で、その特徴はなんと言っても優しいオーラと眠くなる声だ。

飛び出たお腹の真ん中辺りから出てるであろう、低音と中音が心地いい丸みの帯びた声だ。

寝不足であり、昼食を食べ、その声を浴びせられ私の眠気はピークに達していた。

こんなの拷問じゃないかとすら思った。

そんな最中にも私の妄想は止まらない。

朦朧とした意識の中、もはや夢が妄想かも分からなくなっていた。

私には架空の好きな人がいる。

妄想の中に生きている私は架空の人物を作ることくらいおちゃのこさいさいなのだ。

彼は1つ上で、おそらく私は眼中にない。

ようは片思いなのだ。

The タイプな人という訳では無いがどこか惹かれるものがあり、振り向いてくれない悲しみを持ちつつも、優しくてクールな彼だが少し不器用なところが甘さとしょっぱさのハーモニー様なクセになっていた。

私はちょろいんだろうか。ばかなんだろうか。

振り向いてくれないと分かっていて好きになることの愚かさをお許しくださいとまで思っていた。

彼と話していても私だけが楽しい思いをしていて、彼はどこかつまらなそうな顔を見せるときがある。

その度に

「どうしよう〜!彼つまんなそ〜〜⤵‬т т」

と焦るのであった。

 

5限が終わるチャイムで視界が開けた。

どうやら寝てしまっていたようだ。

「ほら〜おきなさ〜い」

と起こす気のないむしろ寝かしつけるような声で呼びかける。

周りの人もさすがに寝てる人が多かったみたいだ。

6限の英語はさすがにほぼ一日寝ていたこともあって目は覚めていた。

周りを見るとまだちょくちょく寝ている人がいた。

今日はいつもよりも涼しい日だった。暑い事には変わりないが。

窓が空いていて吹き込む風が心地よかった。

授業の後半は小テストがあり、ちゃちゃっと終えぼーっと外を見ていた。

そんなときはもちろん妄想をしていた。

アイスクリームが溶けるその瞬間を、世界の差別を、宇宙の未開の地を、隕石が落ちる様子を、今晩の夕飯を、妄想していた。

もしかすると私の存在すらも妄想なのかもしれない。

考え始めたらキリがないことをただひたすらに、秒針が許す限り考えていた。

 

私は妄想に生きている。

これがきっと私の日常なのだ。

絶望を醸し出して実は絶望していなくてスパイス程度に絶望している。

ちょっぴりの後悔や悲観ではない。

スパイスな絶望だ。

下校、私は夕飯の妄想の答え合わせをするべく急いで帰るのであった。

明日の3限、体育に体操服を忘れないように妄想に組み込むのであった。

私の妄想の日常。

そろそろ出番な私、演出家の悪戯

僕らが持ちうる最大のウェポン。

脅威にするには力量にかかっているようだ。

先端ばかり研ぐのに必死な可哀想な人。

本物になり切れない中途半端な私を今日も責め立てるのだ。

ちょーいい感じな日でも悪魔は顔を出す。

まさか!私は私に裏切られるのを繰り返す。

頭の虫を今日も掻きむしる。

届いてるようで実は逃げられている。

人に会いたくなったり独りになりたくなったり様々だ。

夢想家とばかり、妄想を繰り返す私が年老いてまで生きていたくないと思うのは、何度妄想しても年老いた幸せを想像できないからだ。

幸せそうな老夫婦を見て「あぁ、いいな」と思うのは映画を見てるのと同じなのかもしれない。

言葉は寿命よりも生きる。

覚えたての歌が何よりも心躍るように、新しいものに飢えているのなら思った以上に簡単に手に入るはず。

この更新しているブログでさえ、使われないまま行き場を失った下書きの山を踏んでいる。

あの日自分が何を考えていたのかなんてもう理解できないよ。

新しい曲の新しい音や言葉が耳に刺す瞬間は遠くへの旅立ち。

流し読まれる文章に意味を持たせてしまうのか、はたまた流し読まれるような文にしてしまったのか。

 

怖い夢を見たという記憶だけが残された起床。

巨悪の根源を私は知らない。

どれだけ酔っても境地にはたどり着けない。

そんなこともあって明日の自分は今日を恨む。

自己中と言われればそう思う節もあるし、等身大の自分をいくら言ったとこで言うだけじゃ本物じゃないのかもしれない。悲しいことにね。

誰かの崇める神ですら誰かに恨まれてしまう世の中よ。

ところで調子はどうですか。

あぁー、ライブに行かないと頭がおかしくなりそうだ。

昨日くらいから爆音がご無沙汰なせいもあって頭がおかしい。

悲しみや絶望の理由を探ったところでライブに行ってないせいだと感じる。

救いとかそういうものじゃないのかもなぁ。

 

お金払ってまで観た映画が面白くなくても、面白くなかったことが面白い。

誰かと観た映画が恐ろしく面白くなくても、その人と観れたから面白い。

そんなの言いようだよ、と思っていたけど実はそのようだ。

川の水面から跳ね返る光をひとつひとつ数えてるくらいがちょうどいい。

出会いは嬉しいが故に自分が嫌いなせいで人生を壊している。

体験は心躍るほどに言うことを聞かない何かが道を閉ざす。

言い訳とかじゃなくて、余計に与えられたものだから根性でいけると思ってる自分にはつらい。

1を言ったら2が出るし、2をやったら5か6が顔を出す。

もうキリがない。

急に涙が出てきた。

ポンポーン!ふざけるしかない!

ポンポンポーン!

ちゃっちゃ夢に逃げるが吉。

救いを求めることが絶望なのはいい加減分かっているからこそ、希望を持っていたいんだよ。

悪夢にだけは捕まらないように祈ることで精一杯だ。

冬我慢大会 開幕宣言

戦争は怖いし、包丁を洗うのだって怖い。

意味の無い口づけなんてしない。

思春期じゃあるまいし、大切な人の命が脅かされない限り「死ね」なんて出てこない。

心を奪う一言も、誰かを殺す一言も、全部言葉なのが怖い。

 

遠くに見えた丘はどこか夢のようだった。

ある意味それはまさしく夢、偽物のようだった。

あの子が嬉しそうにスキップするから、もう死んでもいいと思えた。

追いつかない日々の足を必死に掴んで引きずられていても、擦れた膝の痛みさえ忘れてしまうような残酷さは見るに堪えない。

現実だと思ったのなら、それは本当に地獄なのかもしれない。

少しだけ背伸びしようとしたのなら、途端に重力を感じる。

リンゴが落ちるという物体的な重力すら越えて、心の風景が黒に染っていくのが見える。

それでも光は残っている。確かにある。

少しだけ自分を超えてみたいなって思ったのなら、その衝動に身を任せたい。

 

中途半端な自分がいちばん嫌いだ。

だってそんなの自分に合わせる顔がないじゃないか。

どうやって自分と向き合ってあげたらいいんだ。

張本人の主張なんてエゴイズムにしかならない。

悲しくなった「夜」に愚痴る。

私だって本当はあなたと居たい。

私だって本当はあなたを守りたい。

抗えないもののせいにしてしまっていたのならごめんなさい。

 

すれ違う人達が軽々しく嘘をついた。

本当は1人になるのが怖いだけだった。

愛なんて知らずに、ただ口の動きに合わせて組み合わせた言葉が脆いことくらい誰でもわかる。

尖ったものが自分の横っ腹を殴ったり、刺したり、引っ掻いたりするのは耐え難い。

運命を悟る前にできることがあるはず、と思う。

 

自分から遠のいてゆくあの子がとても怖かった。

どこか知らないところまで行ってしまって、自分なんか手が届かなくなってしまった辺りでようやく等身大がわかる。

それでも全うしなきゃいけない「自分」がどこか不甲斐なく思えたり、それでもやれるって思ったり、でもやっぱり少し心もとなかったり。

もじもじくんじゃないのに当事者意識を持った途端に方向性を見失う。

それでも声が照らしてくれることがなにより。

 

私の砦、悪夢にだけは負けたくない。

ピッカーンゴロゴロニャーーーン

街中には不思議な音に身体をうねらす人や、愛する人を差し置いてまで生きるべくその身すら染めてしまう人がいるようだ。

悟られないように、丁寧に、丁寧に。壊れないように、静かに、潜めている。

呼吸を忘れずに。そして自分を大切に。

膿が出るかの如く、僕らの日々に溜まる「何か」は本当の「何か」すらかすめる。

大好きなあの人のことを思っていたって、日々は残酷以上に明日が襲う。

肌を伝う指先と瞳の奥のガン。

明日への衝動をやめないで。気持ちを絶やさないで。

誰かが勝手に投げた石ころを踏んでよろけたって仕方がない。

そして私を置き去りにした私を恨むのだ。

やるせないのなら私が悪い。 

手を取るタイミングなんていつでもあったんだ。

 

ずっと、そして今も、すれ違う人の目が怖いんだ。

どこでも、どこでも、なん時も。

人混みは面倒なんかじゃなくて怖い。

気張っていないと本当は怖いだけ。

急かす人に負けちゃだめだ。

結局自分は自分のことを考えていた。

足を踏み外すのが怖いだけだ。

誰しも言えない秘密は誰でもあるし、泣かなくてもいいじゃないか。

片手じゃだめだ。大事なものはちゃんと両手だ。

 

ピカピカの光を連れる轟音とドキドキする心。

ずーっと一瞬の光が瞬きと瞬きの間を抜けてく。

いいなー、いつまでも見てられるなぁ。

昔窓から3秒に1回くらいの頻度で光っていた空が不思議で不思議で楽しくて、赤ワインを飲みながら眺めてたら気持ち悪がられた。

着地点すら分からない彼らの勇姿だ。

人を殺めているのか?

建物にぶつかってしまったのか。

真っ暗な部屋が昼みたいになった。

あれは少し眠気を覚えた5限だったか。

高校の時、教室の数十メートル横に落ちたそれは、この世のものとは思えない音と閃光と振動と、人の叫び声を誘った。

夢から引きずり下ろし、集中力を断ち切り、窓や床を揺らす。

一瞬すぎて定かでは無いが、それはどこにでもあるたった1本の電柱を目掛けて一瞬の空中旅行を楽しんだようだ。

凍りつく教室には容易い出来事だった。

落ちた一瞬のそれのように、凍りついた教室がワっという盛り上がりに変わる。

あれ以上近いそれを体験していない。

大寒波すら暖かい

気取っているのか。

敵すらも分からなくなったのは、仲間すら判別がつかないからだ。

棘を持っているのは自分だったりする。

感謝を忘れたら終わりだと思っているよ。

忘れちゃいけないと思っている。

自分が大好きなのは誰も変わらない。

自己防衛が行き過ぎて他人を傷つけるだけになってしまうのだけはごめんだ。

あなたの考えていることが分からない。のはわかる必要がないから。

自己中なくせが抜けない辺り、自分らしいなって思ったり、なんだかなぁと反逆してみたり。

言葉ほど相手に歯向かうものはない。

言葉ほど相手を包むものはない。

曖昧なままいたってあなただし、私だよ。

あなたと比べて足りないように思えてしまったもなにかあると思うんだ。

かつて走らせたペンの先は予測変換に奪われてしまうのか?

得意気な顔をしているあなたを見て微笑んだりして、それでも明日が本当に来るのか怖くなってしまって、理由のないぽっと出の勇気になんか励まされたりして、深い夜に溺れてしまうのだ。

たかがクソガキの分際で人生を悟ったようなことを言っている自分だって、捨てられないプライドくらいあるんだ。

開き直っているようで斜に構えてるのは若気の至りで片付けて、寝床の温もりを堪能すればいいんです。

封だけ開けたチョコレートをさっさと食っちまえばいいんです。

人を生き甲斐にするのはなによりもこわい。

分かっちゃいるけど、あなたのようにいかないならいっそ自分を貫くまでで、妬みの連鎖なんて1抜けしてやる!そんな葛藤です。

じゃあなんのための意気込みなんだ?そんなことを思わせてしまうくらい弱い決意と自尊心の弱さが今日もぎゃーぎゃー騒いでる。騒音被害。

もう死んでやるー!と言ったあなたの命を繋いできた戦時を生きた人たち。

戦後の日本に希望を抱いた若くして失われた命の上に立っている実感なんて無いんだってわかるよ。わかるけどね。

気持ちが弱い。気持ちの弱さに惑わされている。

時に誰かの声がないと眠れない夜も、時に朝方のバイクの音を聞いてしまう日も、人に助けられている。

なんだか素敵な音に誘われてしまった。

それもまた救いなのだ。

今日の夜こそ最後であり、明日の希望は最終回である。

悲観するにはまだ早いはずだ。そう信じてやまない。

ありがとう。またね。