ジレンマに気付いたとて、何も出来ずに終わりを予測する人々。
酔った勢いでしかものを言えないのならそれまでだ。
過去の偉人らの中にも四六時中、酒を嗜む人が多く居たらしい。
唯一与えられた機会に僕らは気付けるのだろうか?
捨てられたかの如く、意味なしげに放たれた言葉が人を殺すなら言葉の価値とは。
代用が効くほど多く感じられる人間の数を知っても、気持ちは無下にしたくない。
結局自分がいちばん可愛いってことを否定するのはもうやめた方がいい。
周りに無駄な棘を生やすだけだからね。
人を思う気持ちとエゴは違うと思う。
言葉足らずが信頼を失う、そんな時代です。
正しい日本語を学ばない他どう生き残れと言うのだろう。
たまにの深夜の散歩はゆっくり歩けるのに、日中の人が多い場所だと行き交う人の目が怖くなって早歩きになるんだ。
静かすぎる場所が無理なのだって自分の抗えないものに左右されている。
誰かといることは好きだけど、誰かといることを許さないのはこの身体で、どうにもできないからイヤホンでシャットアウト。
本当に自分は生きているのか、生かされているのかさっぱり分からない。
世界の端々を知れるわきゃない。
なのに僕らが想像を絶するような世界で、幸せな夢を見る彼らと何が違うのだろうか。
口先だけや脳みそだけが先行するような気持ちの価値は誰かに語れるものでは無いのかもしれない。
もちろん、私たちは私たちで生きればいいのはごもっともである。
何事も無かったかのような人の顔が怖い。
あの子は死んだ。
私は街に眠る人の絶望と、その端々を数えていた。
息を止めている秒数が限界に近づいている最中、まともな時間感覚など持ち合わせてはいない。
散々泣いて眠った彼女は、救われるはずもなく夢で死ぬことすら許されない。
不味いからなんて言って避けていたビールをごくごく飲み干すようになるのだから、人はどうなるか分からないものだ。
私も変わったのかな。
全てに意味があるように、実は意味が無いことも多い気がする。
合理性と欲求だ。
人間らしくいようと思いたいが、人間ではいたくないような気もする。
絶望と希望の合間で彷徨っているゴーストの群れは夢で踊っている。
今を存分に生きているように見えて死すら見据えているようなその姿は、存在すら透き通る。
何を見ているのだろうか。何を考えてる?
絶望の中にいながらも、希望に似た自己満足や光に模した愛に頼るのだろうか。
疑うことがモットーかのような、信じる道を閉ざしたのか。
愛想笑いを厚く重ねた。
自信過剰、僕らは口八丁な未来を語る。
それとなく合わせた口約束。
「またね」という別れを繰り返す。
また明日なんて誰が決めたのだろうか。
車に轢かれる。ミサイルが飛んでくる。大地震が起きる。当たり前の中に潜む恐怖に溺れたら仕方が無いが、当たり前の恐怖こそ今を生きる使命に繋がる。
自殺をはかった彼彼女。
高い、とても高い滝に身を投げた人。
焼夷弾。水でも消えない火を浴びてしまった彼ら。
死にたくもないのに爆撃の中、死地に向かい故郷の父母や、愛した人や我が子を思いながら息絶えた人。
何を託したくて、何を思いながら記憶を終えたのだろう。
慢心な僕らに知る余地などない。
平等なんて語ろうものならエゴを無くさないといけないし、エゴを無くすなら平等なんて不可能に近い。それが人間であるならとても悲しい。
おぞましい記憶がまるで濃度を濃くするような日々でも、刻む時計がどれだけ残酷かは時間が解決する残酷さ。
忘れられない言葉が脳裏、街角の吐き捨てられたガムに似たものに成り果てても、裏切りの数だけ人を信じられなくなっても、自分は自分の味方であるしかない。
終わりは怖い。終わりが見えない、怖い。
毎日を彩る情景、一瞬は小さじ半。
錆びれた都市の中に眠る記憶消去の鍵を探せ。探せ。探せ。